学会と関連学会
山本昌弘(法政大学)
情報処理学会は1990年代の10年間、情報技術(IT)の本格的な展開を学会活動として推進してきた。特にこの10年間はIT技術の革新は目覚しく、技術領域も広がり、学会の活動範囲もますます拡大してきている。当学会が推進する大会、研究会等の研究活動、会誌、論文誌等の編集活動はIT技術の研究開拓、紹介、教育の中心的牽引役を果たしてきた。
しかし、最近の日本の情報、IT分野の技術ポテンシャルについて見ると、米国を中心とする先進諸国との遅れが指摘され、技術開発、ビジネスの面から大きな問題になっている。
このように技術開発の重要な時代において、情報処理学会が果たす役割はこれまで以上に大きく、かつ重要になってきており、活動の積極化が強く求められている。特に、技術の先進性、タイミング、技術的深さおよび技術領域の広さを追求した活動が強く期待されている。
これを実行していくには情報処理学会として、活動会員の増強、会員の活動強化、活動の効率化を進めていく必要がある。
一方、IT技術に関連する情報関連学会に電子情報通信学会、人工知能学会、日本ソフトウェア科学会があり、活動も大きく関連してきている。その結果、学会活動で、人材面でも大きく関連・重複してきており、効率化の必要性を痛感する。そのため、まずは、研究会、大会、論文の編集等で協調の拡大を進め、さらに、特に関連が強い学会との統合を視野に入れた活動を進めていくことを提言したい。
市川照久(新潟国際大学)
1990年代は、産業界にとっても、私個人にとっても激動の 10年間であった。
1990年代前半は、バブル景気が崩壊したといっても、まだまだ各企業には余力が残っており、研究開発や新事業への積極的投資が行われた。特に、グローバル化への対応策として、海外研究所の設立や、海外の大学への委託研究の増加、米国ベンチャー企業との提携など積極経営を展開した時期である。一方、情報処理学会は、3万人を超える大学会に成長し、事務局を新宿副都心に移転して将来の発展に備える構想が進んでいた。しかし、財政的には赤字転落が確実な状況にあり、会費値上げの声が上がっていた。当時の三浦会長、戸田副会長の大号令のもと、学会の財政改革に取り組み、何とか今日まで会費値上げを回避することができた。
1990年代後半は、長引く不況から各企業は余力を使い果たし、大企業の倒産も始まった。研究開発も聖域ではなく、研究所の統廃合が進み、より事業に直結した研究開発が重視されるようになった。この影響は、大学への委託研究の見直し、学会の会員減となって現れた。学会活動に熱心な企業研究者の多くが大学教員へと転身したのもこの時期である。
1995年11月に科学技術基本法が成立し、1996年7月に科学技術基本計画が閣議決定された。その中で、1996年度から5年間に17兆円の国家予算を科学技術の振興に注ぐとの決意表明がなされた。幸か不幸か相次ぐ補正予算の投入により、この数値目標が達成されることは確実であるが、この予算が民間からの資金減の穴埋めになったのは皮肉な結果である。
諏訪 基(大阪工業技術研究所)
学会の機関誌は学会の顔であり、その出来栄えは読者の学会に対するイメージを大きく左右する。そのため学会運営の立場からの会誌に対する注目度と期待は常に大きく、情報処理学会においても、今まで理事会等で会誌の改善に関する議論や検討が再三行われてきた。将来ビジョン検討委員会(1996〜1997年)では、過去の検討事例と効果を分析し、会誌の改善努力が恒常的に実行される仕組みが必要という結論に達した。そこで、それまでの理事による1年任期の編集委員長制度を見直し、任期2年、最大2期再任可能な編集長を置き、「継続的な編集者をヘッドとする編集責任体制」で一貫した編集方針のもとに機関誌の恒久的向上を図ることとした。
1998年度からの新体制移行に向けてのアクションプランのハイライトは編集長の人選であったが、1997年7月には戸田会長の尽力で石田晴久氏から就任の内諾を得ることができ、会誌のリニューアル作戦が始まった。石田編集長のもとで具体的なリニューアルプランの作成作業が進められ、内容に関しては、話題性のあるテーマをタイムリーに(季節感)、かつ、専門家からの視点から解説し(信頼感)、分かりやすさを(サービス精神)、企業人や起業家と波長が合う記事を主体とした編集方針を採用することにより、多数を占める産業界からの会員へのサービス強化(産業界指向)を旨とすることになった。
1998年4月号からは、公募した表紙デザインをまとったA4判情報処理会誌が会員のもとへ無事届くこととなった。
高橋延匡(拓殖大学)
プログラム記憶式のコンピュータが誕生して半世紀を過ぎ、我が国の情報処理学会が誕生して40年を迎え、新千年期を迎えた。
ここで、この進歩の激しい時代における学会の果たすべき役割について、再考してみよう。学会の役割は煎じ詰めると、次の3点である。
(1)研究者のための論文発表の場
(2)技術者の権益の保護、そのための啓蒙活動
(3)大学の専門教育の質を保証する認定機能と、生涯教育の実施
第1は大学や企業の研究者を対象に「論文誌」が対応している。
第2の問題は、米国の学会と異なり、その意識は希薄である。その理由は、終身雇用制に基づく企業内教育の充実があったからだ。現在、後者の啓蒙活動としての会誌がその役割を担っている。
第3の問題は、学会が大学の教育に関与する問題であり、米国などの学会が第一の責務としている問題である。米国における大学工学部教育の
'Engineering Education' は「技術者教育」であり、日本の工学部教育は、'Engineering
Science Education' 、すなわち、「工学者教育」を指向してきた。その背景には、前述の日本社会の保持していた終身雇用制があった。すなわち、一生涯勤めることを前提にした場合、技術者教育の相当部分は企業内教育で十分である。したがって、採用にあたっては大学卒の「実力」ではなく「能力」を期待した。その結果、採用時に「有名大学指向」をもたらした。しかし、最近の経済活動の広域化は、企業活動にも「実力主義」が台頭してきた。また、製造責任の概念やISO9000
のような製造過程の認証などの概念が、工学部の教育にも持ち込まれてきた。その結果、企業も大学教育に「即戦力」を要求するように変わってきた。さらに、国際的な技術者の資格問題も持ち上がってきた。情報処理学会も、特に理工系の情報工学科の教育に貢献することが社会的責任である。そのために、1998年度に「情報処理カリキュラム調査委員会」を改組し、常設の「情報処理教育委員会」を設置した。また、この中に「アクレディテーション委員会」を設置した。アクレディテーション委員会活動は、大学の専門教育をカリキュラムに基づきアクレディット(認定)するシステムの構築を目的としている。その目標は、大学教育の質の向上から、技術者1人1人の実力の最低レベルの保障、技術者資格、生涯教育を通して、倫理観に裏打ちされた技術者のレベルアップ、ひいては企業の国際競争力の向上を目指している。
これが、学会の大きな柱になった時、日本の国際競争力は回復傾向に舵を切ることになるであろう。
尾関雅則(尾関技術士事務所)
本学会は1960年、我が国を代表して、IFIPに加入する学会とするために設立されたと聞いている。このことは、先般改訂される以前の定款にも本学会の目的の1つに、IFIPへの加入が明確に謳われていることからも明らかである。
その後、1980年にはIFIPのCongress '80(この時初めて8th
World Computer Congressという名称が使われた)を主催しIPSJの存在が大きく世界に認められた。また当時、日本代表であった安藤馨がIFIPの会長に選ばれたことは記憶に新しいところである。その後の日本代表は継続してIFIPの理事または副会長として活躍している。
一方、IPSJの内部ではIFIPだけに片寄らず特にアメリカの学会との交流を盛んにすべしとの声があがり、IEEEおよびACMと姉妹学会として協定を結ぶことになった。また、東南アジアの各国で形成しているSEARCCにも加入し、1990年代になって初めて、名実ともに国際的な学会としてふさわしい形ができあがった。
しかしながら、学会の国際活動において、最も重要なことは、同一人物が継続して国際活動に多数参加し貢献することであり、さらには、我が国の各地で、数多くの国際会議が開かれることであろう。この点は残念ながら、諸外国の状況と比べて、いまだ遜色がないとはいえない有り様である。資金と人材の面から、なかなか難しい問題であるが、そろそろ、我が国でも「国際活動は、外から何かを得るためにでなく、外へ何を貢献できるかという考え方で対処する」ことが最も重要であることを、認識しなければならない段階であろう。
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