益田 隆司

会長挨拶

活動の質の向上を目指そうー 会長就任にあたって ー

益田隆司

益田隆司 電気通信大学/情報処理学会会長

(「情報処理」Vol.44, No.7, pp.685-687(2003)より)

 この度、多数の会員の方々のご推薦をいただき、会長に選任されました。学会の一層の発展のために全力を尽くす所存ですので、よろしくお願い申し上げます。本稿では、私が、現在取り組むべきと考えております課題をいくつか具体的に申し述べたいと思います。
 1年前、春の全国大会で、当時の村岡洋一副会長は、「情報処理学会の終焉?」というパネル討論を企画されました。現在の学会のあり方に警鐘を鳴らされる問題提起でした。パネリストのおひとり戸田巖元会長は、終焉という言葉を文字どおり受け止められ、学会のこれからのあり方に関して明快な方向を示されました。私なりにまとめさせていただきますと以下のようになります。情報処理学会には、国内の研究者が一流の論文を投稿しない、いい論文は海外で発表している、情報処理学会は学術の進歩発展そのものを狙った団体ではない、活動が日本語で、外国からは見えない、現状の学会は実務家には魅力がない、でも論文は、大学人の昇進、学位取得等には役立っている、という現状の分析から、今後進むべき方向は、論文は日本語でいいと割り切る、学会は、その名称の変更も視野にいれ、学術専門職、産業専門職(あわせてITプロフェッショナル)の資格認定、教育等その地位向上の役割を増強し、この両方の専門職へ平等なサービス提供を主ミッションとするのがよいというご主旨でした。
 今回、会長に選任され、現状の学会は学術進歩を狙った団体ではないという元会長のご指摘を重く受け止めています。定款に、情報処理学会の目的は、学術、文化、ならびに、産業の発展に寄与することとあります。まずは、学術の発展に寄与する学会へ向けての改革を図る必要があると感じています。ほんとうの危機に直面する前に、正しい改革を図ることが重要です。学術、産業の発展への寄与に加え、文化の発展への寄与に関しては、文化を教育と読み替え、それぞれについて、いま学会がなすべきと考えている事柄について述べたいと思います。

■論文の英文化の促進を

 論文誌は、学会の格付けまでを決める最も重要な活動です。現在、基幹論文誌としてのジャーナルと、研究会論文誌としてのトランザクションがあります。トランザクションは、研究会の活動を活性化することを目的として、平成10年度に新設され、現在5分冊が発行されています。それぞれ、順調な活動をしているように見えますが、その一方で、大きな問題を抱えています。論文が基本的には和文であることです。日本からの情報発信ができないということではなく、それ以前の問題を申し上げようとしています。
 どんな学術論文にも、国際的な目でみて、何らかの新規性が要求されます。和文論文は他国の目に触れる場を提供せず、はじめから他国の研究者からの評価を避けていることになります。先進国で定常状態にある大学会が論文の英文化を図っていないことは、学術団体ではないという評価を受けても仕方がありません。日本でも理系の学会では、論文はすべて英文ですし、理工をまたがる日本化学会でも、昨年、和文論文誌は廃止になり、英文誌のみになっています。情報分野の大学会が論文の英文化を図っていないことは、学術団体としての社会的あるいは会員に対する責任を果たしていないことになります。学術団体にとどまるためには、論文の英文化は必要条件です。
 英文化に関しては、学会運営の中核となる委員会、あるいは、理事会でも議論が継続していますが、結論は出ていません。トランザクションの英文化を考えるところがあれば、支援しよう、あるいは、他学会と共同で英文の電子ジャーナルの発行を考えよう、といったところがこれまでの議論の方向です。いずれも日本からの情報発信の視点での英文誌をということですが、より基本的な視点が必要です。
 情報の分野は、数学、物理などと違って、概念的な事柄も重要であり、異国語でそれを論じることは難しいという意見を聞くことがあります。それも事実と思います。そのようなことを考慮しても、情報処理学会が取り扱う論文の70パーセント程度を英文化することを当面の目標とすることが妥当と考えます。具体的にこれをどう実現するかは、さまざまな選択肢があると思います。
 英文化をしても、いい論文は海外に流れるという意見も聞きます。ノーベル賞を3年連続して受賞している化学の分野でも、いい論文は海外に流れる傾向があるそうです。それでも自分たちの英文誌を持つ意義は大きく、それを少しずつでも国際的に認められる論文誌に育てる努力を継続することが重要です。大昔、応用物理学会が英文誌を出すときにも、同じような悩みがあったと聞いています。物理の世界では、Physical Review、Physical Review Lettersが圧倒的に強く、応用物理学会が英文誌を出してもという声があったそうです。後藤英一先生等がご苦労をされたと聞いています。また、久保亮五先生は、ご自分の主要な論文は、日本物理学会欧文誌JPSJに投稿されていたということです。現在はJJAPもJPSJも国際的に評価される論文誌になっています。
 第一線で活動している研究者の方からは、自分たちはすでに海外でのコミュニティを持っていて、情報処理学会を活動拠点にすることはない、現在の和文論文誌は、大学院学生の論文投稿の場としては価値があり、需要もあるという声も聞きます。しかしながら、大学院学生が和文で論文を書いて評価される風土は、研究者としての成長を阻害しているともいえます。また、大学の情報分野の人事では多くの場合、他の分野に比べて、和文論文の率が高いことが目立ちます。異議が唱えられることもあります。近い将来、大学でも説明がつく分野を除いては、和文論文は、評価されなくなると思います。日本語でいいと割り切っていると、戸田さんのおっしゃる地位向上の役にすら立たなくなることを実感しています。
 情報処理学会の論文国際化への取組みは、過去においては、すでに、1961年に始まっています。Information Processing in Japanとして、毎年1回、和文論文の代表的なものを英訳し、海外に寄贈しています。1978年からは、英文のジャーナルJournal of Information Processingを季刊で発行しています。1993年まで続きました。海外購読の進展がなく、休刊の決定がなされました。英文化をしても、定着するまでには困難があることは予想されますが、英文での投稿が自然であるような学会への変身が、急務です。

■産業技術者が関心を持つ学会へ

 産業の発展への寄与に関して、状況は深刻です。ここ10年余り、会員数は、毎年500~800名の割合で減少を続けています。企業会員の減少はその数を上回っています。会員数が3万人を超えていた10数年前、企業会員の多数は、大手計算機メーカの汎用計算機を支えるハード、ソフト、応用分野の技術者、研究者でした。ここ10数年の間に、パソコン、ワークステーションへのダウンサイジング、ネットワーク、さらに、ユビキタス、さまざまな生活環境品の情報化の時代への変化に伴い、メーカの技術者の仕事も大きく変化しています。その一方で、顧客のニーズに合わせて仕事をする情報サービス産業で活動するIT技術者は膨大な数になっています。大手メーカの会員が減少している一方で、サービス産業のIT技術者に学会への興味を持ってもらえないのが現状です。
 情報処理の分野は、臨床医学と似ていて、学問が現場と近いという特徴があります。産業界の第一線で仕事をする専門技術者が数多く会員となり、アカデミアの会員との間で、刺激のある交流があってこそ、双方にとっての将来の発展があるはずなのですが、アカデミアの研究者と産業界の技術者との間には、本質的に大きなギャップがあるのが現実です。このことは日本だけの現象ではないようです。現実との乖離は、研究活動そのものの衰退にもつながります。このギャップを少しでも小さくするような施策を考えたいと思います。
 みずほの例、携帯電話の例をはじめ、システムが社会に提供されてからトラブルが発生する事故が後を絶ちません。会誌今年4月号の松原友夫さんの記事「ソフトウェア産業にもデフレがやってくる」にも、日本のソフトウェア開発力は満足できる水準ではなく、開発は、インド、中国等の外注に頼っている、人件費が安いだけでなく、技術力にも差がある、今後この傾向は一層強まるだろうとありました。同様のことは今年の全国大会のパネルセッションで繁野高仁さんも話されました。こういったことに関連して、情報サービス産業協会(JISA)の会長である佐藤雄二朗さんは、ソフトウェアの開発、維持にかかわる技術が学問領域として確立されていないので、その知識体系の確立を情報処理学会と協力して行いたいと話されています。学会としてもどのような仕組みが考えられるかを検討したいと思います。
 専門技術者を対象とした商用雑誌がいくつも発行される環境になったことも、IT技術者が学会に興味を持たない1つの理由かもしれません。しかしながら、会員に対しての重要なサービスの手段である会誌に関しては、最近、内容が豊富になった、読みやすくなった、購読の価値があるということを頻繁に聞きます。一昔前の会誌に比較しますと、石田晴久前編集長、和田英一現編集長のもとで、いかにさまざまな工夫が凝らされているかが一目で分かります。時間的遅れをもって、その効果は産業界の会員増への効果をもたらすものと期待しています。
 平成14年4月に村岡委員長のもとで取りまとめられた学会運営検討委員会報告書には、「情報処理学会は、学術研究・教育中心の従来の役割のほかに、IT技術者の職能団体としての新たな役割にも目を向け、生涯教育やIT技術者の資格認定等、技術者のメリットとなる具体的な活動を展開する必要があるように思われる。」とあります。終身雇用の慣行は崩れ、労働市場の流動性は高まりつつあります。どのような資格認定、生涯教育を行えば、社会に根付き、権威あるものになるか、関係する委員会、企業の方々と考えていきたいと思います。連続セミナー、産業フォーラムについても、一層の活性化策を講じたいと思います。

■教育活動の重要性

 学会における教育活動は、次世代を担う人材の育成の視点からきわめて重要です。情報処理学会は、早期から教育活動には熱心に取り組んでいます。大学のコンピュータサイエンス学科の教育に関しては、多くの方々の努力により、J90、J97の標準カリキュラムの策定という大事業が成し遂げられています。その後は、アクレディテーション委員会で、初代は故高橋延匡委員長、現在は牛島和夫委員長のもとで、JABEE認定に向けての作業が精力的に行われています。卒業する学生の品質保証につながることであり、企業の方々への認知度向上の努力、あるいは、認定作業そのものへの企業の方々の参画がこれまで以上に望まれるところです。
 学会活動の裾野を広げる一環として、今後、力をいれるべきと考えているのは、中高の生徒、先生、父兄への働きかけです。高校のカリキュラムにも教科情報の導入が始まりました。中学校でも技術・家庭で情報が教えられています。中高生に情報は興味深いという印象を持たせることが重要です。こういった教育活動に長年取り組んでおられる川合慧さんは、魅力あるテーマを設定し、幅広く参加者を求めた公開シンポジウム、講習会などで、まず種をつくることが重要だとおっしゃっています。関連する研究会、委員会、あるいは、他学会と話し合い、活動を進めたいと考えています。支部のお力をお借りすることも出てくるかと思いますが、よろしくお願いいたします。
 現在の日本における情報の分野では、学会、大学等のアカデミア、企業、それぞれの活動は、相互に深く関係しています。学会活動の質が向上すれば、アカデミア、企業も活性化します。それが下がれば、他の2つの活動も沈滞化します。学会活動の質を高めるには、会員の方々の学会をよくしようという意識、行動と、的確な学会運営が重要です。後者は私たち役員の責任です。学会運営は、その性格からして、会員の方々の意志の尊重に重点があることは無論ですが、その一方で、国内外の動向を正しく把握し、時宜を得た方針によって、活動をより活性化し、質を高めるような運営をする必要があります。これから2年間、会員の方々のご支援をよろしくお願い申し上げる次第です。

(平成15年6月9日)