2017年09月04日版:佐藤 真一(企画担当理事)

  • 2017年09月04日版

    「雑感: 情報処理とは、情報処理学会とは」

    佐藤 真一(企画担当理事)

     昨年度より企画担当理事を務めております。企画担当理事は、企画政策委員会における学会の喫緊の課題(会員数の減少等)に対する施策の立案や中長期計画に関する議論、アドバイザリーボードにおける外部委員への進捗報告ならびに意見招請等を担当しております。そうしますと、情報処理学会はどうあるべきか、産業界や学術界等さまざまな会員に対して学会は何を、どのように提供すべきか、また何が求められているのか、そもそも情報処理とは何か、というような点について、しばしば考えさせられます。本稿では、こうした点についての雑感を述べさせていただきたいと思います。

     自分が学生だった時分は、パーソナルコンピュータが広まりつつあったころであり、まだ計算機は大型計算機センタの汎用機や研究室のミニコン・ワークステーションを皆で共有して使っていたころであり、環境もある程度共通でした。情報処理学会(特に会誌)はとても重要な情報源であり、マルチメディアデータベースやオブジェクト指向言語、パターン認識等についての特集記事を繰り返し読んでいました。一方今はほとんどの人がスマホを有し四六時中「情報処理」を行っており、また乗用車、冷蔵庫、炊飯器、体重計、体温計、腕時計や眼鏡にまで計算機が搭載される状況であり、情報処理の広まりはとてつもないが、その環境の多様性も考えられないほど大きくなっています。こうなると、情報処理に関連する話題もきわめて多様化し、ほとんどすべての人が情報処理に日々かかわる一方、そうした人々の情報処理に対する知的要求も多面的になっており、これらに一元的に答えるのは、仮に不可能でないとしても、きわめて困難となっているように思います。

     大学を中心とする学術界を取り巻く環境も激変しているように思われます。研究成果の計量化が進み、研究者はインパクトファクタやトップジャーナル・トップカンファレンスの発表件数等で評価されるようになり、一方で私の関連する分野でも日本人研究者のトップカンファレンス等での採択件数は増えているように思われます。このように否が応でも研究のグローバル化が進んでいる一方、残念ながら情報処理学会の主催している全国大会・FIT・研究会、ジャーナルやトランザクションは、「トップジャーナル・トップカンファレンス」とは考えられていません。そうした中、情報処理学会は何をすべきか。その一方、研究のグローバル化により、「巧みな」論文が増え、トップジャーナル・トップカンファレンスに通りやすい研究を進めがちになっていないかという危惧を持っています。外部(主として欧米)の決めた評価基準や価値観を唯々諾々と受け入れていないでしょうか。日本独自の価値観、日本の優位性が生きる問題設定を発信できないものでしょうか。学会こそがそうした場になりうるのではないかと考えています。

     情報処理学会の在り方、情報処理研究の在り方、「情報処理」の位置づけ、日本の立ち位置、これらにまつわる問題は、複雑であり、そう簡単に解決できるものではないことは明らかです。それでも、少しでも良い方向に進める方策はないものか。学会としてできることは何か。少しでも何らかのお手伝いができればと願っております。