安西祐一郎

会長挨拶

未来への出発ー 会長就任にあたって ー

安西祐一郎

安西祐一郎 慶應義塾/情報処理学会会長

(「情報処理」Vol.46, No.6, pp.609-611(2005)より)

 このたび、益田前会長の後を継いで、第23代の会長に就任することとなりました。
 我々の学会は、歴代会長をはじめとする多くの方々のご尽力により、情報処理に関するフラッグシップ学会として世に貢献してきた、栄光と実績に満ちた学会です。学会の歴史を創ってこられたすべての皆様に、あらためて深く感謝申し上げます。
 とりわけ、学会として行うべき新たな活動を提示し立ち上げていただいたこと、財政状況の改善を抜本的に行っていただいたことについて、益田前会長、松田前副会長、前任理事をはじめとする役員の方々、多くの熱意ある会員の皆様、そして事務局の方々に、厚く御礼申し上げます。
 ここでは、会長就任にあたって、今期の会長の本質的な使命について申し上げておきたいと思います。
 諸先輩が大変な苦労をして育ててこられた学会の会長を務めることは、若輩の身に余るのですが、私のような経歴の者が会長に選任されたことは、「学会創立以来45年、日本は戦後60年、世界も大きな転換期にあり、情報社会の変化も著しい中で、学会もまた変わるべきだ」という、会員の皆様の暗黙の声であると理解しております。

■それでは、我々の学会はどのように変わるべきなのでしょうか?

 この問いについて議論すると、百花繚乱多事争論かもしれませんが、基本的な論点を突き詰めて整理していくと、次のように言えると思います。
 我々の学会の前には、2つの可能な道があります。その1つは、これまでの活動テーマを重視し、コンピュータ技術を中心とする特定分野の学会として着実な発展を遂げていく道です。もう1つは、基盤的情報科学技術の推進を図りつつ、現代と未来の情報社会をリードする分野に進出する道です。これまでのところでは、学会は前者の道を選んできたように見受けますが、45周年あるいは50周年を境としてどちらの道を選ぶべきか、世界と日本が歴史の分岐点に差し掛かっているのと同じ意味で、我々の学会も、2つの道の分岐点に差し掛かっているのです。
 後者の道、つまり当学会が現代と未来の情報社会をリードする分野に進出する道を、私は選択します。私が会長に選任されたことは、後者の道を取れという、会員の皆様の暗黙の意思表示であると思っております。
 来年春の学会創立45周年記念大会を過ぎると、学会創立50周年まであと5年を残すだけになります。5年後にやってくる創立50周年の年、2010年には、我々の学会は、現代と未来の情報社会に関する知識と経験を得たいと願う人々のための学会として、新たな姿を見せなければなりません。そのための出発点を創る、これが私の使命だと思います。

■新しい活動内容とは何を指すのでしょうか?

 学会は企業や大学や国研ではなく、自分の意思で会員になり、嫌になれば退会すればよい、ボランティアの人たちの集まりです。トップダウンの指示で動く組織ではなく、使命と夢と知識を共有したいと願う人々の集まりです。だから、会長や理事会からのトップダウンでなく、会員の方々自らの夢と意欲によってしか、新しい分野を立ち上げることはできません。そのことを前提として、新しい活動内容とは、これからの情報社会が必ず求めることになる活動とその内容という意味です。
 肝心なことは、こうした新しい活動内容を支える科学技術は、やはりこれまでの基盤的情報科学技術の延長線上にある、ということです。だから我々の学会は、変わるといっても情報科学技術の基礎研究を置き去りにしてはなりません。
 新しい活動内容の例を挙げてしまうと先入観を持たれるかと思いますので控えたいのですが、それではイメージが湧かないと言われるかとも思われますので、現代と未来の情報社会にかかわるいくつかの例を挙げてみます。ソフトウェア開発のプロジェクトマネジメント、放送や映画を含むディジタルコンテンツの創造・流通・知財、国境を越えてシームレスに通信可能な次世代インターネット、情報処理技術としてのロボット技術(ロボットインフォマティクス)、医療・健康情報や安全・安心情報を健全に利用できる情報社会システム、真に役立つロバストなヒューマン・マシンインタラクション技術、安全で安心な社会基盤を創り運営する知的社会基盤工学技術、受益者参加によるコミュニティ形成とその情報技術基盤、学習者中心の教育環境、児童・生徒の情報教育、その他きりがありません。
 上に挙げたことは単に思いつくままの例であり、先にも述べましたが、新しい分野の推進は、会員の方々自らの夢と意欲によってのみ可能になります。また、上に述べたように、新しい分野の展開は、誤りのない方向性を持った基盤的な情報科学技術の進歩によって支えられることも忘れてはなりません。
 こうしたことを踏まえ、会長に就任するにあたって、会長任期2年の間に行うべき自分の使命2項目(+1)を、以下に掲げておきます。

(1)
すでに立ち上がっている3つの事項(IPSJ Digital Courierの活動促進、学生会員の加入促進、技術応用フォーラムの活動促進)を推進すること。
(2)
学会活動全般を、現代と未来の情報社会をリードできる分野に広げること。
(+1)
上記の項目を財政基盤の健全性を維持しながら行うこと。

 上記(1)については、3つの項目それぞれについて、担当理事が責任を持って推進する体制を敷きたいと考えています。(2)については会長のもとで判断をすべきことがあるかと思いますが、関係役員、関連委員会委員等の方々とともに、学会の未来への方向づけをしたいと考えております。(+1)については、総務財務運営委員会を中心として財政基盤の健全性を常にウォッチするようにしたいと思います。
 特に上記の(2)については、私自身は必須の使命と捉えていますが、学会全体の方向づけという重要な事柄ですから、会員の皆様の議論をぜひお願いしたいと思っております。
 自分のことになりますが、15年余りにわたる学会での役職経験の中で、特に記憶に残っているのは、「インタラクション◯◯」と呼ばれて現在も活発に開催されているヒューマンインタフェース関係の本格的研究発表の場の創設、「活動の自由と自己責任」の看板のもとに行われた領域制の試行・本格施行および研究会の活動積立金の自由化、研究会論文誌(トランザクション)の発刊制度施行、技術応用フォーラムの立ち上げ等に、研究会主査、調査研究担当理事、領域委員長、調査研究運営委員長、副会長等としてかかわったことです。
 こうした経験は、私自身にとって、学会内部の経験としてだけでなく、個人的な経験としても大変貴重なものでした。その折々に完全燃焼させていただいたことについては、当時お世話になりました諸先輩や関係者の皆様、事務局の方々、そして学会自体に、いくら感謝しても感謝しきれるものではありません。
 ただ、こうした貴重な経験の中で私は、当学会について大きな危機感を抱くようになりました。それは、世界と日本における情報社会が本質的な変化を遂げているのに対して、学会がそのことに明確に対応していないように思えたからです。

■本質的な変化とはいったい何を指すのでしょうか?

 金物のスイッチとボタンの時代から、紙テープとパンチカードの時代へ、磁気テープユニットが一部屋を占める大型コンピュータの時代へ、ネットワークとパソコンの時代へ、そしてユビキタスコンピューティングと携帯端末と情報家電・ITSの時代へ、さらに国境を越える次世代インターネットと国際携帯端末の時代へ、情報処理のあり方は急速に変化してきました。
 そして、それとともに情報社会のあり方も急激に変わっています。コンピュータは単なる小さな道具に過ぎなくなって、コンピュータの曲芸的な設計や職人的プログラミングに夢や生きがいを感じる若者は急速に少なくなっています。それに対して、情報技術を当たり前のように駆使し、自分の生活、地域のコミュニティ、社会のあり方を変え、自分と他者の能力が十分に発揮できるようにしようとする若い人たちは急速に増えています。こうした時代の変化は、技術の発展とともにむしろ加速していきます。
 他方、「今どきの若者は」論で口角泡を飛ばす世代は、若者たちの記憶内容が自分たちの世代とは異なっていることを認識しなければなりません。
 たとえば、今年は終戦60年目にあたる年ですが、今年20歳になる世代は1985年生まれとして、第二次大戦の終結は彼らが生まれる40年前のことになります。これを今年60歳の世代にあてはめると、1945年生まれとしてその40年前は1905年、ちょうど日露戦争が終戦を迎えた年にあたります。ということは、今の大学生にとっての第二次大戦は、60歳の方々にとっての日露戦争と同じような時間間隔であり、記憶内容ということです。
 社会と記憶の本質的変化は、情報を扱う我々の学会が、他の諸々の学会よりもはるかに真剣に対面しなければならない変化です。誰しも、人生を真直ぐに来た人であればあるほど、自分がこれまでやってきた仕事、学問、身につけてきた知識と経験を基に、それをさらに伸ばすことが世の中のためになると考えます。しかし、本当にそうなのか。これから入会する若い新入会員が、入って良かったと思える学会は、情報技術の予測もほとんど当たりそうもない未来の2035年に、まだ50歳ぐらいで社会の第一線にいるはずの彼ら彼女らにとって、また年功賃金制度や終身雇用制度とは違った制度のもとで働く彼ら彼女らにとって、一人ひとりのこれからの人生に資する情報を与えてくれる学会でありましょう。
 来年春には、学会創立45周年とともに日本のコンピュータ開発50年をお祝いするため、すでに多くの方々がご尽力されておられますが、我々の学会は、コンピュータの黎明期から情報処理の研究、開発、普及等において日本をリードし、今日に至っている、情報処理に関する日本のフラッグシップ学会です。
 このことの意義をもう一度捉えるとともに、その栄光ある歴史を未来に反映させて新しい時代の学会を創造すること、5年後の創立50周年を期に学会が新たな姿を見せられるように今から準備をすること、会員が夢と意欲と新しい知識を共有できる学会にしていくこと、新しい多様な価値を創造する学会にしていくこと…たくさんの目標が待っていますが、会員の皆様とともに、夢と意欲を持って、目標の実現に取り組んでいきたいと願っております。ご指導ご支援ご協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

(平成17年5月23日)