2024年02月29日版:寺田 雅之(総務担当理事)

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    「電子レンジが枕の上に降ってきた

    寺田 雅之(総務担当理事)


     1995年1月17日未明、電子レンジが枕の上に降ってきた。後に阪神・淡路大震災と名付けられた災害をもたらした、1995年兵庫県南部地震のことである。

     当時、六甲山の麓にある阪急六甲駅の近くで下宿生活を送っていた。ちょうど修士論文の追い込みの時期で、深夜まで研究に勤しんでいた……かNetHack1)に勤しんでいたかは記憶が定かではないが、猪に注意しながら2)CBR250R3)に跨って大学の研究室から帰宅し、シャワーを浴びてさあ寝るかとクローゼットの扉を開けたとき、なんの前触れもなく、それは来た。

     最初はこんな大きめの地震は関西では珍しいな、と思っていた4)。すぐに立っていられないほど激しい揺れに変わり、開けたばかりのクローゼットの扉を盾のようにして、その裏にしゃがみこみ続けることしかできなかった。クローゼットの外で物がいろいろ落ちたり割れたりする音が聞こえた。ぐわんぐわんと大きく揺さぶられているうちに、建物が崩れるのではと恐怖したが、幸いにしてしばらくの後に揺れは収まった。

     停電の暗闇の中、ライターの火を灯してまずは部屋の中を確認した。棚に乗せていたものは悉く落下しており、電子レンジも寝床の枕の上に降ってきていた。もちろん、就寝中は頭があるあたりである。もし夜遅くまでNetHack……ではなく研究に勤しむことなく寝ていたらどうなったんだろう、と背筋が冷えた。

     部屋の中は真っ暗でどうしようもないので外に出た。同じように外に出ている人も多くいた。寒い中でみな口数少なく佇んでいた。近所のコンビニに行った。多くの商品が床に散乱していた。レジ近くにバイトの人が佇んでいたが、停電でレジが使えないので何も売れません、ごめんなさい、と言われた。それどころではないようにも思ったが、バイトとしては勝手なこともできないんだろうと理解して立ち去った。私の後にも何人もコンビニに向かっているのを見かけた。みんなにごめんなさいと言い続けるのも大変だろうなと思い、バイトの人との会話を伝えた。

     そのうちに夜が白みかけてきた。そういえばまったく寝ていないことに気付き、いったん床に就くことにした5)。もちろん、枕付近の棚からすべての物を降ろして……と思ったが、落ちそうなものはすでに全部落ちていたので、降ろすものはなかった。寝床の上に散乱している物だけを除けて仮眠をとった。

     朝方になり、安否確認をしたりされたり6)、停電から復旧したと思ったらしばらくしてあちこちで火の手が上がってまたすぐに停電になったり7)、いまだに書くことが難しいことも含めてさまざまなことがあったが、とりあえず修論どころではない状況とわかった。いったん (当時は大阪の堺にあった) 実家に戻ることにした。

     電車はまったくの不通だったが、幸いにして駐輪場で倒れていた CBRを引き起こしたらエンジンがかかったので、堺の実家に向かった。神戸を東西に走る山手幹線も国道2号もまったく動かない状態だったので、神戸と大阪を大阪湾沿いに結ぶ大動脈である国道43号に向かった。しかし、国道43号をのろのろと東に進んでいると何かがおかしい。国道43号の上には阪神高速神戸線が高架で走っているが、その高さが進むにつれてだんだん低くなっている。さらに進むと完全に崩落しており、大型トラックが崩落した高架に潰されていた。どこの世紀末だろう。

     目の前にあるのは現実の光景のはずだが、その現実の中に自らが実在しているとは思えない。現実を現実として認識している自分と、現実を現実として理解できていない自分がいた。二重写しの浮遊感を覚えた。何を書いているかわからないかもしれないが、そのときの感覚を適切に表現できる言葉を知らない。

     国道をあきらめ、エンジンのオーバーヒートを騙し騙し抑えつつ、瓦礫や段差を避けながら8)細い道を縫うようにして9)芦屋から西宮を抜け、大阪まで辿りついた。神戸からそれほど距離はないはずだが、辿りついた大阪の街には自分がよく知る現実があった。大阪から堺までは普通に帰ることができた。

     堺の実家でテレビを見た。崩落していた阪神高速を含め、空撮で被害状況が俯瞰されていた。現実感なく認識していた現実を、情報として理解することができるようになった。しかし、テレビで写される現地の被害は、情報としては正しいと理解できても、認識としては「これじゃない、これでは正しくわからない」とも思った。ではどうしたら正しくわかるのか。その答えはいまになってもわからない。

     2024年1月1日夕方、横浜に移っていた両親の実家で過ごしていると、長い周期の気持ち悪い揺れが来た。遠くで大きな地震があったのでは、と思った。能登半島地震である。

     その後の経緯はみなさんの記憶にも新しいと思う。当日のうちは被害の深刻さがまだよくわからず、後日になってどんどん明らかになったのは、1995年と同じである。ただ、そのときと異なり自分は画面のこちらで情報を受けとる側にいる。当時に実家で見たテレビを思い返すと、この情報を情報として理解することはできても、その現実を正しくはわかっていないだろうことがもどかしい。被災された方々が、1日も早く現実を現実として取り戻すことを祈念したい。

     愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという10)。そこで、この場を借りて11)、私が被災した際に学んだ経験や感覚を書き記してみた。電子レンジのような重たい物を枕元に置くのはやめましょう12)、という当たり前のこと以上には教訓めいた話がほとんどなくて恐縮だが、当時の記録の1つとして読んでいただければと思う。

     なお、私は幸運だった。大きな怪我をすることもなくこのときを生き延びることができた。たまたまそのときにクローゼットの扉を盾にできるような場所にいたことや、おそらく地盤の関係で建物が倒壊を免れた13)こと、実家が被災エリアの外にあり、バイクが手元にあって自力で避難できたことなど、相対的に恵まれた状況にあったとすら言える。しかし、それはさまざまな「紙一重」の分岐を重ねた上での結果論でしかない。幸運とは書いたが、その一言で片付けてしまうことには罪悪感に似た後ろめたさを感じる。

     不幸なことに日本では、ほぼ数年おきに大規模な震災が発生している。神戸も能登もそうだったように、地震が警戒されている地域だけを震災が襲うとは限らない。現実を失わせてしまうような大震災は、テレビやスマホの「向こう側」で起こるだけでなく、なんの前触れもなく「こちら」側での現実ともなり得る。どなたが読んでくださるかわからないコーナーであるが、最後まで読んでくださった方々に感謝するとともに、もし何か少しでもお伝えできたものがあれば幸甚である。

    Footnotes
    1)Roguelikeと呼ばれるジャンルに属する至高のゲーム。ランダム生成されたダンジョンを潜り、黒プリンの養殖をしたりペットの猫に店の商品を盗ませたり床に落書きをしたり (誤字ると死ぬ) しつつ、イェンダーという名前のストーカーをあしらいながら昇天を目指す。たぶん嘘は書いていない。

    2)神戸大学では早朝や夜間に猪が出没することがある (少なくとも当時はあった)。ウリ坊を連れた猪に出くわすことも。ウリ坊はかわいいが、ウリ坊を連れた親は子供を守るため攻撃的になると言われる。もし幸か不幸か遭遇した際は、刺激しないよう「だるまさんがころんだ」スキルが試される。

    3)ホンダの中型バイク。中古で友人から安く譲ってもらった。就職後も愛用していたが、ある年末年始の帰省中に会社の寮の駐輪場から盗まれてしまった。ここに書いた通り被災時にはとても助けられた思い出があったので深く悲しむとともに、バイクを盗む奴は (自粛) すればいいのに、と思った。

    4)高校までは横浜に住んでおり日常的に小さな地震があったが、関西に移り住んでからはほとんど感じることはなかったこともあり、最初は高をくくっていた。ほんの数秒後に考えを改めた。

    5)と書くと体力の温存を考慮した冷静な行動のようにも見えるが、そのときの感覚としてはほとんど現実逃避に近かったと思う。

    6)停電は続いていたが電話は通じた。アナログ電話の強みである。ただ、輻輳のためとても繋がりにくい状況ではあった。ちなみに携帯電話はまだ広くは普及していなかった。

    7)これは後日に問題になるだろうな、と思ったが、そのあと当時の報道等であまり言及されることはなかったと思う。なぜだろう。ちなみにいまは「通電火災」として知られ、阪神・淡路大震災における火災原因の約6割を占めたとされる。

    8)CBR250Rはオフロードバイクではないので、瓦礫や段差を乗り越えるのが得意ではないし、何よりライダーにそんな技術がなかった。

    9)スマホもGPSもないので、タンクバッグに乗せた紙の地図と、所々に見える案内標識が頼りである。なお、神戸の沿岸部では山があるほうが北なので、方角を見失う心配はほとんどない。

    10)ドイツの「鉄血宰相」ビスマルクの格言として知られるが、実は原文とは意味がかなり異なる「超訳」である。ただ、原文よりこちらのほうが格言っぽい。

    11)「理事からのメッセージ」なので、学会の活動や情報処理技術になんらかの形で結びつけようとも思ったが、あまり不純なことをすると伝わるものも伝わらなくなってしまうので割り切った。強いて言えば、私が (本業で作った) モバイル空間統計の防災応用に長らく取り組んでいる背景の1つになっていると思う。

    12)枕元に限らず、ソファーの傍なども含めて。崩れる可能性があるものは崩れるし、倒れる可能性があるものは倒れる。ちなみに机の下に隠れるようなことは、立っていられないような揺れの中では、よほどすぐ近くに机がないとまず無理と思う。

    13)ここでは詳しく書けなかった(いまだに書くことが難しい)が、100mくらい離れただけで景色が一変していた。また、やはり建物の耐震基準は伊達ではない。欠陥工事のリスク(たとえば「現行規定の仕様となっていない接合部」などで検索してみてほしい) も含め、文字通り生死を分けるものになるので、ぜひ気にしていただければと思う。
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