学会創立40周年を記念して、「学会創立30周年の歩み」発刊後の約10年間にわたる学会活動全般について述べる。この10年間を振り返ってみると、最初の数年間は会員が3万名を超した大成長期、中盤は日本経済のバブル崩壊の影響を受けた会員数減、収入減等のマイナスの影響をカバーしつつ学会活動の活性化を図った縮小均衡経営期、この時期に始まった技術の大変換に対応するため、新しい施策、技術にトライしてきた後半の活動期といえよう。また、この期間は日本の工学系学会として5指に数えられる大学会に成長した時期でもあり、学会の運営面全般にわたって改革、改善とその実行が強く求められた歳月でもあった。これらに対応する施策が、どのように検討、起案され実行されてきたかについて、その概要を記録することにより今後の参考としておきたい。なお、超多忙な方に表-1「学会活動の概況一覧」を付した。
■学会運営施策策定とその成果
学会の社会的成立条件として、非営利団体活動は、会員資格が開放されており、会員のボランティアを基本とし、特定な定款・規約を持ち、社団は事務局を保持するなどがある。また、学会の制度的な成立条件としては、研究発表のための定期的な会合と刊行物の発行、学術・技術の交流および情報交換と啓蒙の場、学術・技術・教育の調査研究と政策提言の場があることであろう。なお、一番大事な機能的な成立条件として、研究成果の評価能力を有すること、優れた研究成果を顕彰する能力を持つこと、研究・開発を推進するための奨励手段を持つこと、研究・開発の普及手段を有することなどが挙げられる。学会の運営はこれらを達成するため何をいかに実行していくかに尽きると考えられる。
1990年代の学会運営について何を書くか、漠然として捉えきれない課題であったが、理事会が設置したいくつかの特設委員会について述べ、この課題への解としてみたい。設置時期が1980年代に遡るものもあるが、施策の実行が1990年代ということでご理解いただきたい。
■未来委員会(尾関雅則委員長他)
1988年3月〜1989年12月
- 設置のねらい: 30周年記念事業の1つとして、会員へのサービス向上を核としながら、情報技術の総合的な発展を図ることを目的とし、学会の将来展望と実現のための具体策を、情報会館をはじめとする望まれる環境条件の在り方を中心に検討した。
- 主な検討項目: 会員数を予測した運営方策、学会運営のOA化、パソコンネットワークとデータベースの活用、アカデミック・ネットワークの活用、生涯教育、放送大学方式の活用、情報博物館とコンピュータサロン実現可能性の検討など。
- 主な成果は、学会の事務所を保科ビル(港区麻布台)からSTECビル(新宿区西新宿)へ移転(1992年10月)、会員システムの委託方式からオフコンによる直営へ、研究会システムの開発、PC&WPによる日常業務処理などであった。
■財務委員会(戸田巌委員長他)
1989年11月〜1990年11月
- 設置のねらい:学会収支の改善。
- 主な検討項目:事務所移転の経済的な限界値、広告収入増の方策、論文誌の別刷代・購読料の改定、出版事業の拡大、全国大会収支改善(分冊化・チュートリアル併設)、講習会収入拡大、賛助会員収入増、欧文誌の論文誌への統合、研究会の独立採算の向上と自主的運営、国際会議の寄付金依存度引き上げ、予算管理指標(独立採算度・限界収支率)導入、人件費・会誌の印刷経費節減など。
- 主な成果は、事務所移転のガイドライン決定、広告単価の値上げ、全国大会の分冊分売化、講習会受講料改定、会誌印刷経費の節減、OA化による経費節減、賛助会員の増加、人件費の軽減、予算管理指標(独立採算度・限界収支差率)導入による財務管理などであった。
■学会運営企画委員会(小林亮委員長他)
1991年7月〜1992年4月
- 設置のねらい:学会活動全般の見直し、学術・技術の専門化・多様化・学際化・国際化への対応、会員数の伸び鈍化への対応。
- 主な検討項目:研究会の部会制・研究会活動の独立性・活性化、国際活動と基金、論文誌の国際化、会員サービスの向上・会員増加策、財政基盤の強化、会誌特集号セミナ企画、表彰制度・業績賞、電子化、新事務所の活用、財務基盤の強化、関連学会との連携活動の強化など。
- 主な成果は、新事務所の活用、SUN導入・電子メール開始、事務のOA化、会誌特集号セミナ開催、論文誌と欧文誌の統合、国際会議開催の手引き作成、小規模国際会議制度新設、情報フロンティアシリーズの企画刊行、情報処理パソコン用語事典の企画刊行、連続セミナーの継続実施、経費節減の強化などであった。
■部会制検討委員会(相磯秀夫委員長他)
1992年7月〜1993年4月
- 設置のねらい:会員の学会活動への参加意識の向上、学術・研究活動の活性化、部会制の問題点の整理。
- 主な検討項目:会員増加策、賛助会員増加策、会員特典、イベントの活性化、電子メールによる会員サービス、会誌の改善、新技術分野発展の方向にマッチした学会の領域の確保、新雑誌(第2学会誌)の発行、研究会活動の活性化、研究会の会誌・論文誌との連携、活動のための資源の確保、各活動への学会補助比率のガイドライン、各種積立金の明確化、一般実務会員向けのサービスなど。
- 主な成果は、大学等への入会促進キャンペーン実施、入会金の免除、JISA等への賛助会員勧誘、イベントでの会員勧誘、会員紹介キャンペーンの実施、会誌モニタによるアンケート、実務家向けの分かりやすい会誌記事、新技術を受け入れる環境作り、新雑誌検討委員会の設置、研究会のグループ分け運営提言、事務局の経費節減などであった。
■学会活動活性化委員会
(第1次)(相磯秀夫委員長他)1993年7月〜1994年4月
(第2次)(平栗俊男委員長他)1994年7月〜1995年2月
- 設置の狙い:学会の立場の認識、研究開発を中心とする学会活動の重要性、学会の果たすべき責任などの明確化。
- 主な検討項目:会員増加策、広告収入増加策、学会情報の発信方法、事務の効率化、学会事務所の移転、支部活動の活性化、部外活動の活性化、各業務の会費依存率、予算編成の定式化、経費節減、会誌:実務家向委員会設置・記事新設・委員会運営の効率化、論文誌:キーワードの全面見直し・論文システムの開発・電子化の準備・投稿と採択の増加対策、研究会:領域制・組織改革案、全国大会の改善、新雑誌検討・英文図書、情報処理ハンドブック改訂、国際会議の支援、国際委員会と理事会の意見交換、倫理綱領、SEARCC加盟、OA化・電子化など。
- 主な成果は、学会事務所移転(1994年7月、西新宿から芝浦へ)、入会金免除、事務の効率化、各業務への会費配分率、予算編成の定式化、会誌:実務家向小委員会設置・委員会運営の効率化・ページ減・会告の完全版下化、論文誌:キーワードの全面見直し・論文誌システムの開発・電子化出版の準備、研究会組織改革:領域制の導入、全国大会の改善:参加費の値上げ・アルバイトの節減・論文集寄贈先の見直し、新雑誌検討・英文図書、情報処理ハンドブック改訂委員会の設置、国際会議の支援、国際委員会と理事会の意見交換、倫理綱領委員会の設置、SEARCC加盟、OA化・電子化、印刷費の削減、人件費の節減などが挙げられる。
■将来ビジョン検討委員会(野口正一委員長他)
1996年3月〜1997年5月
■将来ビジョン推進委員会(戸田巌委員長他)
1997年6月〜1998年5月
- 設置のねらい:企業所属会員の減少対策、ITの社会への広がりによるメインフレームからPCへの転換、教育改革、分野の近似した学会との関連、国際化、ボランティア活動と事務局のバランスなどへの対応策、定款改訂について文部省からの要請への対応。
- 主な検討項目:役員選挙の見直し、会誌のリニューアル、論文誌と研究会の協調、研究会の分野別論文誌の発行、教育委員会の充実、国際活動の見直し、電子投稿、電子化著作権の検討、関連学会との協調、定款改訂、フェロー制度、支部活動支援策など。
- 主な成果は、定款の改訂、代表会員制度の導入、役員選挙改正の実施、フェロー制度の導入、支部活動強化策、NGI特別委員会の発足、産業フォーラムの開始、会誌の編集長設置とリニューアル、研究会論文誌の発行、論文誌査読期間の短縮、教育委員会の独立、全国大会の新企画、国際委員会の改組、IFIP委員会の独立、電気・情報関係6学会の共同声明、IEEE-CSと協定締結、WWWのリニューアル、メール転送、電子投稿、著作権規程の改訂、学会活動活性化委員会新設、会員証の発行、会員特典の拡充、事務局長の交代等が挙げられる。
主な事項については、この後に述べるが、「学会と関連学会」と「学会活動と経済界」についてお二人の方にコメントを書いていただいたので、ここで紹介する。
■会誌・論文誌・研究会・出版
会誌は記事や解説のほかに、学会活動を会員全員に知らせ、読んでもらうため発行していることは、ご存知の通りであるが、会告は別として、3万名弱の大勢の方々に読もうという気持ちを持っていただくことは、専門分野も知識の水準も違いがあり、価値観の多様化などにより、ほぼ、不可能に近いことを達成するという困難な課題をいつも抱えている。そうはいっても大多数の会員にとって学会との繋がりは、この会誌が最大の、むしろ唯一のものといってもよい。1980年代後半から理事会、会誌編集委員会は、この難問に取り組んできた。その概要について述べる(学会誌改善の経緯まとめ)
。
1990年1月に出された会誌改善委員会の改善の要旨は、より分かりやすい記事を重視する。そのため、編集委員の権限を強化一元化する。具体的には、記事の数、ページ数をフレキシブルにすること、研究会活動と連携を強めホットな話題を提供すること、編集小委員会がよりタイムリーに、より個性ある企画を行うこと、Best
Author賞を新設するなどであった。なお、編集委員会は、共通分野については自ら継続的に企画することとしたほか、読者の意見を記事に反映するためモニタ制度を導入、記事の査読を閲読と改めより分かりやすさを追求していくことを明確にした。
1993年から94年には、「情報処理最前線」、「素朴な疑問」を開始したほか、応用・利用を分野とする実務小委員会を発足させた。
1995年から96年には、「事例」、「インタビュー」、「会員の広場」、「編集室」を開始したほか、技術標準化のページ廃止、会告の掲載方法の見直しなどのリストラを実行したほか、実務家を対象としたアンケートを実施した。このアンケートにより多数を占める実務家の会員の要望が判明し、その後の企画に役立つこととなった。
1997年から99年にかけては、前述した将来ビジョン検討委員会から提案された内容をもとに、編集長の設置と全面的な権限委譲、エディタ制度の採用、Best
Editor賞の新設、編集体制の全面改組、著者との意思疎通の円滑化、A4判化と表紙デザインの一新などを行い現在に至っている。このことについては、諏訪基氏(会誌のリニューアル)に執筆をお願いしたものを掲載したのでご覧いただきたい。
この間における編集事務のシステム化については、システム化・電子化の項に述べるが、Web公開もすでにスタートした。
●調査研究委員会活動経緯
当学会の出版物は、会の規模に比して少ないと思われるが、そのうち主な出版物についての概要を述べる(学会発行出版物一覧)
。
「情報処理ハンドブック」新版を1995年11月に学会監修によりオーム社から刊行した。毎回のことであるが、内容も膨大なこと、著者も多数になること、技術の進展が速いことなどから、計画した期日に発行するのが困難で、著者、編集側も苦労が絶えなかった。1997年9月には、内容を一部改定して「コンパクト版情報処理ハンドブック」として刊行した。コンパクトとしたのは1997年11月刊行の「コンパクトエンサイクロペディア情報処理」とともに経済状況による購入可能な価格が影響を与えているといえよう。
「情報処理フロンティア・シリーズ」は、専門家だけを読者対象とはせず、一般の方々にも読んでもらうことを企画の柱として、共立出版社から1993年12月「UNIX最前線」を第1巻として刊行した。巻によっては数回の版を発行するなど、広く読まれており、現在第22巻を数えており、今後10巻くらいは発行される計画である。
1998年6月発刊の「日本のコンピュータ発達史」は「コンピュータの歴史(今回CD-ROMとして含む)」の次の1970年代から1980年代にわたる歴史を記録したものとして発行した。
「Advanced Information Proce-ssing
Technologyシリーズ」は、欧文誌が休刊となり、欧文論文が論文誌に統合後、海外へ日本の情報技術を発信する必要性から発行されたもので、現在第2巻まで発行されている。
このほか、研究会等が企画した出版が数件あるほか、最近では会誌にも取り上げた「西暦2000年問題の現状と対策」を自主出版した。また、かねてからの宿題である教科書出版の企画などがあり、今後の進展に期待したい。
■全国大会・連続セミナー・連合大会
●全国大会参加者数等経緯
全国大会は、いわゆるバブル期の到来とともに講演発表件数も1,000件を超えることが当たり前の様相を呈していたが、その崩壊とともに件数が800〜1,000件台の振幅を繰り返し始め、関係者を一喜一憂させた。しかしながら、そのような混迷の時代にあって、全国大会の運営にも特筆すべき出来事がみられた。以下に、縷々述べることとしたい。
1990年前期の第40回全国大会は、本学会創立30周年記念大会として早大の大隈講堂と理工学部キャンパスの両地区で盛大に開催した。しかしながら、これと第41回(1990年後期、東北大)大会は講演発表件数に関しては800件台と低調であった。
全国大会の講演発表件数も、その時々の世相、経済事情と無縁ではなく、いわゆるバブル経済の到来とともに、その件数も1,000件台で安定し始め、大会収支も相応に安定を保った。
特に第43回大会(1991年後期、名大)では、東海地区の複数の企業が展示会を開催、第44回大会(1992年前期、明大理工学部)では、降雪という悪条件の開催ではあったが、本学会研究会を主体とする、大会前夜祭的な催しとしてチュートリアルセッションを開催し盛会であった。これは第45回大会(1992年後期、徳島大)でも継承された。
第46回大会(1993年前期、工学院大)は、会場が当時本学会事務局があったSTECビル(新宿区西新宿)に隣接しており、また、新宿という本邦随一の交通ターミナル地区での開催ということもあって近年になく大盛況であった。この大会はその後、廉価な会場賃借料や交通アクセスの良好さなど、本学会の諸活動の会場として工学院大学が頻繁に利用される先駆けとなった。そして第47回大会(1993年後期、鳥取大)は、バブル期の好調な経済情勢の余勢を駆っての開催を目指したが、会場へのアクセスの利便性等に難があり、大会史上に残る空前の収支赤字を余儀なくされたのは残念なことであった。
第48回大会(1994年前期、東京理科大)、第49回大会(1994年後期、北大)、第50回大会(1995年前期、青学大)の3大会も安定した参加者数のうちに開催された。
第51回大会(1995年後期、富山大)は、北陸支部が東海支部から分離独立して以来、初めて迎える大会であり、富山大学の緻密かつ全面的な協力のもと、北陸3県を中心とした30数社にもおよぶ協賛企業・団体の支援をもいただき、盛大に催された。
そして、この10年間での一大エポックとなった第52回大会(1996年前期、電通大)を迎えた。これまで、大会運営委員会(理事会)と学会事務局とで企画・運営を続けてきた全国大会を、大会プログラム委員会を新設、調査研究運営委員会、会誌、論文誌各編集委員会から構成委員を募って、プログラムの内容・企画の充実化を図り、また、大会奨励賞だけであった表彰を、大会優秀賞を新設することで表彰対象者から年齢制限を撤廃し、広く、ベテラン研究者、技術者からの講演発表の促進を狙ったほか、インターネットの急激な普及に伴い、WWWによる講演発表申込システムを導入するとともに、本学会研究会に、シンポジウム等の研究発表の場として大会の場を活用することを依頼して、7研究会からの参加を得た。
第53回大会(1996年後期、大阪工大)においても、第52回大会から始まった全国大会改革の気運はさらに拡大し、プログラム委員長を中心として、次のような新機軸が打ち出された。全国大会スローガンの制定、デモ・セッションの新設、大会講演論文集のほかCD-ROM版発行。しかし、この大会では開催趣旨が、広報不足もあり浸透せず少々低調であった。さらに第54回大会(1997年前期、千葉工大)では、本学会の国際化を端的に象徴するイベントとして、ACMセッションが設けられ、大会史上初めて同時通訳による講演を開催した。ここで、この全国大会の1つの変化として、外国人研究者の大会への招聘・講演が定着したということを挙げておきたい。
第55回大会(1997年後期、福岡工大)では、大会史上2番目の1,300件を超える講演発表者を集めて、プログラム委員会のもと、国際シンポジウムや有料チュートリアル等多様なプログラムで大会を盛り上げた。第56回大会(1998年前期、中大理工学部)以降、昨秋の第59回大会(1999年後期、岩手県立大)まで、それぞれのプログラム委員会の個性を反映した大会を開催し、2000年3月開催の第60回大会(拓殖大八王子)では、従来の一般講演セッションに加えて、「学生セッション」を新設した。また、本学会創立40周年記念大会は来る2001年春に慶大理工学部で開催の予定である。
全国大会の収支状況は、その主要な収入源である「講演参加費」に依存するため、発表件数の振幅の激しいこの10年間での収支状況の移り変わりも使用機材、会場賃借料等の多寡も相まって変動してはいるが、ここ数年の大会に関してはおおむね黒字基調で運営されている。
コラム「教育・学会の果たすべき役割」
コラム「国際活動」
連続セミナーは、情報処理技術の啓蒙・普及ならびに学会活動の資金確保を目的として1991年に、第1回が、当時本学会の理事であった(株)アスキーの西和彦氏のアイデアにより具体化された。以来、その時々の時流に合った最先端の情報処理技術について各分野を代表する専門家による講演を開いてきた。1991、1992年度は同時通訳付きの外国人講演も開催したが、招請費等の支出増大から1993年度以降は廃止、開催規模を縮小し参加費値下げを行い参加者を確保することで収益の確保を図ってきた。
連続セミナーは毎年度、計6回開催のサイクルで、その時の事業担当理事が企画案を策定し、理事会等で審議決定し、開催を具体化してきた。
会場は主として工学院大学(新宿区西新宿)を使用し、現在に至っている。
年度
| セミナーテーマ
|
1991
| 21世紀をめざしたパソコンとワークステーションの課題
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1992
| 21世紀に生き残るコンピューティングは何か?
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1993
| 激変する社会環境に立ち向かう情報システム
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1994
| ビジネス・プロセス・リエンジニアリングのための最新情報テクノロジーの理論と実践
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1995
| 集中から分散へ、マスからパーソナルへ−パラダイムシフトを乗り切るための最新技術の理論と実践
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1996
| ネットワークコンピューティング時代の情報処理技術
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1997
| ネットワークは社会と個人をどうかえるか?
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1998
| グローバル化、多様化時代を支える情報システム構築のための最新技術動向と展望
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1999
| ネットワーク社会フロンティアへの挑戦
|
本大会の歴史は古く大正年間に電気関連の2学会(電気学会、照明学会)が連携して開催したのがその源で、以後、時代を追って、創立された電子情報通信、映像情報メディア、本学会が順次加わり共同主催の形で今日に至っている。
また、日本学術会議のシンポジウム開催活動をバックアップする目的で、日本学術会議の電子通信工学、電気工学、情報工学の各研究連絡委員会も運営に参加している。
ここ数年、本大会は、開催テーマの選定が各学会ごとに相違すること、参加者が開催当番学会に偏ること、収益の低迷、運営事務の煩瑣などから、その体質を大幅に改善すべきとの気運が盛り上がり、一時は大会そのものの廃止も叫ばれたが、1996年度の大会から会期の短縮化(2日間→1日以内)、懇親会の廃止等の抜本的改革を経て、現在、大会は存続の方向で、ここ数年150名から200名の参加を得て開催しており、1997年度から聴講は無料とした。
電気・情報関連学会開催テーマ
年度
| 事務担当学会
| 統一テーマ
| 会 場
|
1990
| 電気
| 部門別でテーマはなし
| 理科大
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1991
| 情報
| 〃
| 電機大
|
1992
| 電気
| 21世紀をのぞむ技術課題
| 芝浦工大
|
1993
| 電子
| 技術と人間との新しい調和を目指して
| 早大
|
1994
| 情報
| 環境・福祉・情報と未来社会
| 工学院大
|
1995
| 電気
| エレクトリック・ワンダーランド
| 京大
|
1996
| 電子
| 21世紀へ向けてのテクノロジー
| 学術会議
|
1997
| 情報
| マルチメディア社会における光と影
| 学術会議
|
1998
| 照明
| 21世紀の道路交通システムを目指して
| 学術会議
|
1999
| 映像
| マルチメディア・グローバル時代の教育
| 機械振興
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■総務関連
●会員数推移
●トピック
正会員数は1991年度まで年に2,000名から3,000名の大幅な増加を得ていたが、91年度の31,189名をピークに、毎年減少の一途をたどり1998年度は遂に25,383名となり、この間5,806名、20%弱の大減少となった。これは会費収入で約5,500万円の減収に相当する。幸い賛助会員は社数減となったものの口数は微減にとどまった。また、学生会員は803名から1,667名と増加した。この間の正会員入会者は12,718名、退会者14,770名、除名者8,965名であった。会員数は多ければ良いというものではないという会員もおられるが、学会収入の40%弱を占める最も基本的な収入であり、会員獲得の努力は継続して行われており、これからも会員とともに続けていく必要がある。この間に始まった会員サービスは、会員登録データにE-mailアドレス、専門分野を追加。IEEE、IEEE-CSの会費割引。会員特典としてホテル、旅行、レンタカー、書籍購入等の割引等が新設された。
■知的財産の活用
学会自らが知的資産を電子化して情報発信していくのはこれからに期待するとして、ここでは今まで外部機関に提供してきた経緯についてふれる。欧文誌(JIP)のアブストラクトを1985年10月に日本科学技術情報センター(JICST、現JST)と利用許諾契約したのが最初で、現在は個別利用方式の包括契約となっている。1987年11月には学術情報センターと学会発表データベース用のデータとして論文誌、全国大会、研究報告等の提供利用許諾を契約した。1996年3月には電子図書館サービス試行のため、すべての刊行物のデータ提供契約を、1998年12月には同システムの課金システム稼働による本契約を締結した。1997年4月には奈良先端科学技術大学院大学と電子図書館システム試行のためのデータ提供契約を結び、現在2001年3月末までの契約更新をしている。そのほか、刊行物の複写コピー権について1991年10月に学協会著作権協議会(現学術著作権協会)に集中処理することを包括委託契約し現在に至っている。
詳細については、毎年会誌6月号に総会報告として掲載されているので、ここでは、会員減等による減収への主な対応について述べる。当会で一番収益が期待できるのは連続セミナーで、これは稼いで使おうの見本でもある。次に論文誌の別刷があるが採択論文数にもかなり左右される。収支のバランスでは、研究会への補助額を一定率とし、研究会の独立性のアップを図ったほか、全国大会もほぼ独立採算で運営している。しかし何といっても一番効果が出るのは経費節減であった。未来委員会の提言を理事会が具体化した事務所の新宿移転1992年10月から、バブル崩壊による収入減をカバーするため家賃光熱費を大幅に節減することができる現事務所に1994年7月移転し、平年度ベースで約1,900万円が節減できた。これらを資金としてLANシステムを導入し、事務のシステム化を進展させるなどによりピーク時29名の職員を、現在22名(本部)で運営していることが最大の対処法であった。関係者と職員の研修と努力に感謝しておきたい。
1980年代後半から90年にかけてのシステム化は、市販のパソコンソフト「公益法人会計」による予算・出納・決算処理と、「会員管理」を計算センターに委託処理していたのみであった。当時は、正会員が年間2,000人から3,000人増加し、これに伴って委託費用も年々増加し、また分析表などを1つ作成するたびに数十万円の外注費が必要なほか、バッチ処理のため作業の波動が大きく事務の遂行上からも問題があった。
そこで、1990年5月事務局内にオフコンをレンタル設置し、COBOL言語を使用し「会員システム」を再開発した。同時に研究会への登録・更新・請求等の事務を「研究会システム」として新規開発した。この2つのシステム化と直営運用により、3万人学会の基礎的運営を支える土台と、年間1千万円を超える経費節減が図られ、学会としての本格的なシステム化がスタートしたといえよう。しかし、システムの変更・追加が外注のため費用と時間がかかるという課題が残った。92年10月には、SUN
SPARC WSを1台試験設置し、WIDE東京NOCと64Kbps接続、数名の職員による電子メールを試行した。
1994年9月には、会誌編集に初めてPowerMac6100/60にQuark
XPressを搭載しDTPシステムを導入した。事務局職員が会誌の版下を自ら作成し、印刷にかかる費用を大幅に節減したケースは、工学系の学会では本学会が初めてであり、その後数年間にわたり各学会事務局からの研修と見学が数多くあり、携わった職員の努力と苦労も、自信と成長につながっている。95年1月には、論文誌事務にQuadore650とLC475を導入し、4Dserverを使用、クライアント/サーバシステムを新規採用した。専任の職員が開発し、複数の職員がシステムを利用することにより、事務の効率が画期的に向上した。このシステム専任の職員化は、開発と保全の外注費の節減、その後のシステム化と電子化の推進に大きな力を発揮した。
1995年2月には、事務局内LANをSV98m2にWindowsNT3.5Jを載せサーバとし、PC9821XsにWin3.1を載せてクライアントに、PC9821XnにWinNT3.5Jを載せたクライアントレーザプリンタを導入し、これに会誌編集のMacとオフコンを加えてLANシステムを構築した。通信プロトコルはTCP/IP、NetBEUIを採用しインターネット接続にはSUN
WSを経由して各PCと接続した。これにより、事務局職員のほとんどが電子メールとインターネットが利用できるようになり、事務処理の迅速化・正確性が向上するとともに、ファイルを共有化することなどによって事務情報資源の有効活用が行われた。ソフトの制約から一部オフコンの会員/研究会情報が利用できないなど課題が残った。職員にはLANが使用できないと未来がないなど、強い要請と教育を行ったが、現在では、ほとんど全員が使用技術をマスタしている。95年9月には、SUN
WSにWWWホームページをオープンした。これは2月から文献ニュース小委員会が暫定開設していたものを、本格的な情報発信するため行ったもので、会員ボランティアの大変な労務提供と職員への技術指導により、現在への先駆けとなった。
1997年1月には、CD-ROM作成システムをPowerMac9500/200、ScanJet4c、CDU524Rにより構築した。ソフトはDeskScan
II、Acrobat、CD Writerを使用し職員がスキャンPDF化、索引をHTMLで作成、WWWブラウザで閲覧可能としたものをCD-ROM化、プレスのみを外注とし大幅なコスト削減を実現した。97年11月には、インターネットサーバを増強増設した。このころメールサーバへの中継攻撃を再々受けるようになり、これを回避するためsendmailをバージョンアップしたところマシンホルトがたびたび発生した。本格的対応策としてFreeBSDを載せたインターネットサーバを導入、SUN
WSをWIDEとのゲートウェイとした。これによりかなりスピードアップされたが、回線64Kbpsのアップまではいたらず利用面での制約は残った。
1998年3月には、本格化してきたシステム化と電子化に対応するため、ハードなどリソース不足となった各パソコンを、N系PCはMateNXにWindowsNT4.0Jを搭載、Mac系はPowerMac8600/250にMacOS8を載せたマシンとしたほか、レーザプリンタなども置き換え増強した。これにより共通のアプリケーションソフトが利用可能となりファイルの互換性が高まったほか、処理スピードが格段にアップした。98年5月には、電子化専門委員会WGを設置し当会としての発信情報の項目、内容、頻度を検討し、利用者へ提供する機能、方法等を決めてWWWホームページのリニューアルを行った。
1999年4月には、オフコンとパソコンで稼働していた会員と研究会システムを、2000年問題およびデータベースの活用・利用の容易化などを解決するため、LANシステムを増強したクライアント/サーバシステムとして開発した。基本的に職員が開発の中心を担ったこともあり、開発当初から一部に不具合が生じたが、現在は安定してきた。現在、会員情報が全職員のWSから利用可能となり、担当係ごとの情報がデータベースに付加していけることなど、今後の有効活用が期待できる。99年10月には、インターネット回線増強とサーバの再構築を行った。回線はWIDE接続に、OCNエコノミ128
Kbps、DIONスタンダード128Kbpsを新規に接続、サーバはWWW/FTPサーバとしてPower
Edge1300にRedHatLinuxを搭載したものを新設し、既存のマシンはMail/POP/
DNS/Newsサーバに切り替え運用している。これにより2000年4月開始の会誌と論文誌のWeb購読に対応できるほか、アクセス速度の向上、メールの中継攻撃や悪質なスパムなどへの対応などが迅速にできるものと期待している。
8支部全体の会員数は、約8,700名で全体の33%を占めている。運営経費のほとんどは学会本部からの交付金によって賄われている。ここでは概要を表-2に示し、それぞれの活動状況は各支部からの報告によることとしたい。
●支部別会員数&特記事項
●歴代支部長名
■北海道支部 支部長 杉岡一郎
北海道支部は、1983年4月に設立された。支部設立10周年を迎えた1993年3月に10周年記念誌を発行し、5月には10周年記念イベントと位置づけて情報処理北海道シンポジウムを例年より盛大に開催した。同時に記念祝賀会も開催した。
1983年度から電気関係学会北海道支部連合大会に参加し、1991年度からは、支部主催の情報処理北海道シンポジウムを毎年開催している。
1992年度から北海道支部表彰規程を設け、毎年数名の新進の研究者または技術者に支部奨励賞を贈呈している。他に、年間10回程度の講演会および1、2回の見学会を開催している。
情報処理学会全国大会は、1987年9月(第35回)および1994年9月(第49回)の2回、北海道大学を会場として開催した。
支部会員数は、支部設立時の151名から、10周年時には530名と順調に増加したが、1995年の580名をピークに減少しはじめ、現在は約500名になってしまったので、会員数の増加に努めている。
北海道支部では、他支部に先駆けて1994年3月に支部メーリングリストを開設し、1996年1月には支部ホームページも開設した。
このメーリングリストやホームページをさらに充実し、活用することによって支部会員の増加を図り、支部活動をより一層活発化させ、40周年を迎えた情報処理学会のますますの発展につなげたいと考えている。
■東北支部 支部長 樋口龍雄
東北支部は大泉充郎先生(1980年本学会名誉会員)をはじめとする有志の方々のご努力により、支部としては関西支部に次いで1972年1月29日に設立された。支部だより100号突破記念号に寄せられた大泉先生の「創立当時の思い出」の中では支部創立当時のご苦労が綴られている。1969年に東北大学大型計算機センターを発足された後、先生は学外の体制作りの重要性を強く認識され、産官学を通じた情報処理の振興を図るため支部設立に着手された。その3年後に東北支部が産声をあげることとなったのである。
設立当時から続けられている支部だよりの発刊、研究講演会の開催は、2000年1月現在でそれぞれ185号、279回を数えるに至っている。また東北各地で開催する研究会、地元企業向けの各種研究セミナーの開催を通じて最先端情報処理技術を普及してきている。さらに全国的活動として東北支部から大泉先生が1970、71年度情報処理学会副会長、野口正一先生が1988、89年度同副会長、1995、96年度同会長に選任され、学会本部運営に多大な貢献をされた。また、情報処理学会全国大会を東北地区にて計3回(第29回於東北工業大、第41回於東北大、第59回於岩手県立大)実施した。この着実な東北支部活動に対する会員各位と東北地区企業の甚大なご支援のもと、1997年1月には支部25周年式典の開催と記念誌の発刊を行うことができた。
21世紀を目前にして情報処理関連技術がますます重要となる現在、さらなる支部活動の充実に向けて皆様方のご理解とご協力をお願いする次第である。
東海支部は1982年に、福村晃夫先生(現・中京大学)を初代支部長として発足した。当初は、愛知、岐阜、三重、長野、静岡の各県を管轄範囲としていたが、翌年に北陸地区を含めて中部支部と改称、さらに1992年、北陸支部設立に伴い再び東海支部となり、現在に至っている。
この10年間における本支部内での学会活動としては、まず、本会全国大会を1991年と1998年の2回、いずれも名古屋大学で開催したことが挙げられる。また、電気関係学会東海支部連合大会には1981年以来、共催学会として参加しているが、1990年以降は3年ごとに主担当学会として大会事務局を運営している。
支部独自の活動としては、講習会、講演会、研究会、見学会などを毎年多数開催してきている。今後も適切なテーマを選択して、それらの活動を一層充実させ、支部会員のニーズに応えるようにしたいと考えている。また、上述の東海支部連合大会において、新進の研究者・技術者による優秀な発表に対して「奨励賞」を授与してきたが、それに加えて、このたび1999年度からは「学生論文奨励賞」を新設し、論文等の発表により優秀な業績をあげた支部所属の学生会員を表彰することとした。それらを通じて、学生会員の活動も支援したいと考えている。
■北陸支部 支部長 中島恭一
北陸支部は1992年4月17日に、木村正行先生(北陸先端大)を初代支部長として発足した。この経緯は、北陸先端科学技術大学院大学の開校もあり支部運営に必要な会員の確保が可能となったこと、電気関係学会の各学会支部が北陸にもあり本学会も支部設立を要請されていたことなどから、設立の機運が高まり、1991年7月の支部長会議の席上当時の中部支部長から提案があり、学会理事会の賛意を得たことから、木村正行、武部幹、米田政明、渡辺勝正、渡辺弥寿夫を発起人として準備が進められ、石川、富山、福井の3県を範囲として設立に至ったものである。
設立から8年間における本支部内での学会活動としては、第51回全国大会を1995年9月に富山大学で本支部として初めて開催したが、その時の不安と苦労、成功裡に終了した安堵感などが思い出される。また、電気関係学会北陸支部連合大会には1992年から正式に共催学会として参加し、幹事学会も担当している。
支部独自の活動としては、講習会、講演会、研究会、見学会などを毎年多数開催しているが、特に研究会については、学会の研究会を当地域で開催するなど、支部会員にもニーズのある企画を心がけ内容の充実化を図っている。
また、若手の奨励として北陸支部内の11校のうち、希望のあった5大学5高専の学生から各校1名の推薦に基づき、優秀学生として、1994年から各校の卒業式において表彰状と記念盾を贈呈している。
■関西支部 支部長 北橋忠宏
関西支部では、この10年間に6名の支部長と総計30余名の幹事がその運営に携わってきた。1993年には設立30周年記念支部大会が開かれ、ときの支部長松本吉弘京都大学名誉教授の司会によるパネルディスカッション「パソコンの現状と展望」に続き、記念式典が執り行われた。記念誌「情報処理学会関西支部最近の10年(1983年〜1993年)の歩み」も発刊された。
その前年には故手塚慶一大阪大学名誉教授の提案により関西情報関連学会連合大会が発足している。これは支部大会を拡大し、関西に支部あるいは多数の会員を有する経営、教育、制御、ファジイ、神経回路など計算機利用の立場に立つ学会の参加を得た連合大会である。平成4年の第1回大会以降、本年7月7日開催予定の第5回大会まで、当支部が中心となり隔年ごとに開催されてきた。毎回250〜350名の参加者を数える特色ある事業として定着してきている。
また1997、98年度の支部長の堂下修司京都大学名誉教授による経費の見直しと本部に先駆けた支部会員への情報提供の電子化を目指した取組みも注目される。その結果、10年以上続いた3研究会に代わり、新ソフトウェア産業研究会とサイバーメディア研究会が生まれた。1999年6月には当支部の事務局がある関西情報センターにホームページおよびE-mailの発信サイトが設置され、登録制のメーリングリスト(支部会員の2割強)による支部行事の案内を開始した。これが効を奏してか1999年度の支部主催の全行事において会員参加者数の増加がみられた。今後これを維持・拡大していきたいと考えている。
中国支部は、1984年にそれまでの関西支部から分離独立し、中国四国支部として発足した。1994年4月には中国支部創立10周年記念総会を開催し、10周年記念誌を発行した。以下では、この記念誌にある歴代支部長からのご寄稿や活動資料を参考にして、この10年間を振り返ってみる。
中国四国支部発足当初は、正会員407名、学生会員21名、賛助会員8社という小さな世帯であったが、その後は年率10%の割合で会員数が増え、活発な学会活動を展開してきた。1989年には、学会活動が中国地区と四国地区とに別れて専念することになり、四国支部の分離・独立に伴い、中国支部として発足することになった。
この10年間の支部活動で特筆すべきイベントは、1993年秋の情報処理学会全国大会を鳥取大学で開催したことである。実行委員長は、10代中国支部長を務められた鳥取大学の小林康浩先生であった。厳しい経済状況の中を実行委員の皆様のご苦労により、成功裡に終えることができた。
そのほかの定期的な支部活動としては、1988年度から電気情報関連学会中国支部連合大会に参加していること、電気・情報関連学会の各中国支部と合同で中国五県下の高専・短大・高校の電気・情報関連学科卒業生のうち、成績優秀者に対して、例年賞状ならびに記念品を贈呈していることなどがある。
また、随時、講演会・講習会・研究会・見学会などを開催している。今後も、会員の皆様方からのご意見・ご提案をいただきながら、支部活動を活性化させていく所存である。
■四国支部 支部長 坂本明雄
四国支部は、1989年にそれまでの中国四国支部から分離独立した。1999年5月に四国支部創立10周年記念総会を開催し、10周年記念誌を発行した。以下では、この記念誌にある歴代支部長からのご寄稿や活動資料を参考にして、四国支部創立以来の10年間を振り返ってみたい。
四国支部独立の母体になった中国四国支部が発足したのは1984
年春であるが、その設立当初から四国支部が分離独立することは暗黙の了解事項であったようである。したがって、支部発足に当たっては、支部運営のノウハウをはじめ、当面の活動資金として財産分与を中国四国支部から受けるなど、誠に幸運な発足であったといえる。
この10年間の支部活動で特筆すべきイベントは、1992年秋の情報処理学会全国大会を徳島大学で開催したことである。実行委員長は、初代四国支部長を務められた徳島大学の高橋義造先生(現
大阪工業大学)であった。支部設立4年目にして全国大会を運営された、高橋先生をはじめとする実行委員の皆様のご苦労は想像するに余りある。なお蛇足ながら、2000年秋の全国大会が今回は愛媛大学で開催され、1993年度の支部長を務められた愛媛大学の野田松太郎先生が実行委員長としてその準備のため奔走されている。
そのほかの定期的な支部活動としては、1991年度から電気関係学会四国支部連合大会に参加していること、電気学会および電子情報通信学会の各四国支部と合同で支部内の高専・大学・大学院の卒業生に支部奨励賞を贈呈していることなどがある。また、随時、講演会・講習会・研究会・見学会などを開催して、支部会員および支部内の学生諸君へのサービスに努めている。
■九州支部 支部長 雨宮真人
九州支部は1982年に設立された。2002年には設立20周年を迎える。九州支部では設立10年目にあたる1992年に設立後10年間の歩みを「10周年史」としてまとめている。ここでは、それ以降の活動を中心に報告する。
この10年の間の主な出来事は、それまで九州大学に置かれていた支部事務局が1991年度からNTT
DATA九州支社に移されたことである。以後、現在に至るまで、年度計画の実行・運営から予算の管理、支部会員への連絡等、庶務・財務関係の仕事を担当していただいている。また、これは10年以上前のことではあるが、1989年には全国大会を九州工業大学(北九州)で開催し、大盛会であったことを付記しておく。
研究活動等に関連する九州支部の取組みとしては、研究会、講習会・シンポジウム、若手の会、講演会を実施してきた。研究会は九州支部おける会員の研究活動を相互に確認しあいながら研究交流を活発化し、研究シーズをピックアップしようという趣旨で、毎年3月に開催されている。年1回の開催となっているが、非常に活発であり、毎年40件程度の発表となっている。特に今年度は「火の国ワークショップ」と銘打って熊本で開催し、その発表論文は57件に達している。次年度以降からは単なる研究会という位置付けではなく、よりアイデンティティあるものとして位置付けるべく積極運営を企画しているところである。
講習会・シンポジウムはその時々の先端的な技術の動向を探ることを目的として講習会とシンポジウムをそれぞれ相補的に隔年で実施してきている。
これまでの開催テーマをみると、情報関連分野の環境変化が読み取れる。たとえば、10年前には高度知識処理、分散処理・並列処理・オブジェクト指向などがテーマであったが、ここ数年ではマルチメディア、インターネット、インターネットと法律などのテーマが設定されている。毎年、100名近い参加者を得て好評を得ているが、特に今年度開催したインターネットと法律については多くの参加者を得、また参加者の間からも具体的な事例を踏まえた質問、問題が提起されるなど、熱心な討論が行われた。
講演会については内外の著名な研究者にお願いして、毎年20件程度の講演会を九州各地で臨機応変に開いてきた。若手の会についても毎年夏季に実施し、毎回30名程度の参加を得てきた。
現在の情報関連技術に関する社会環境の急激な変化をみると、今後10間に学会、支部の果たすべき役割と活動もかなり変化していくであろう。現在九州支部では今後の社会環境の変化を見据え、また学会本部の将来方針も踏まえて、(1)教育関係者や地元のソフトウェア関連企業などを視野に入れた支部会員の拡大、(2)支部研究会の一層の充実、(3)学生など若手研究者の意欲高揚をねらった支部表彰枠の拡大、など新しい方向に向けての運用を議論しているところである。
■まとめ
会誌編集委員会から学会40周年特集の一記事として、1990年代の学会活動についてまとめよとのご用命を受けて悩みましたが、いずれ50年史を編纂するときもあり、その時の繋ぎになればと考え、私の独断で執筆をお願いした先生方および支部の記事と、事務局の担当者に作成してもらった原案、資料等を参考としつつ、事務局生活13年間を想い出しながらまとめました。10年史という記事の特殊性やページ数の制約などから、会員の皆様方にどの程度ご参考になるか未知数ですが、この10数年間に大成長した大規模学会の経営方針をどのように決め、どう運営してきたか、また本学会がどうあるべきかなどについて、この10年間多くの方々がどう考え、どのように実行されてきたのかを誌面から読みとっていただくことを期待しています。
最後に執筆者の先生方と協力してくれた事務局職員、この記事を担当させていただいた石田編集長はじめ編集委員会に感謝するとともに、情報技術の研究開発をリードする情報処理学会が、今後、ますます発展成長することを祈願してこの記事を終わらせていただきます。
参考文献
- 学会20年の歩み、
情報処理, Vol.21, No.5, pp.424-431(May
1980).
- 情報処理学会編「学会創立30周年のあゆみ」(1990).
- 学会30年周年記念事業について,
情報処理, Vol.31, No.5, pp.571-574(May
1990).
- 特別企画 学会活動の現状と課題,
情報処理, Vol.31, No.10, pp.1332-1349(Oct.
1990).
- 特別企画 学会活動の現状と課題,
情報処理, Vol.31, No.11, pp.1474-1481(Nov.
1990).
- 学会活動の活性化を目指して,
情報処理, Vol.35, No.7, pp.658-661(July
1994).
(平成12年3月6日受付)
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